避難所

せめて、目を背けずに

「避難所」/垣谷美雨

避難所」は、

積読してしまっていた一冊。

東日本大震災が発生し、
命からがら津波から逃れるシーンから
始まる。

垣谷さんの作品は大好きで
これまで何冊も読んできたけど
怖い思いをしたくない、、、と言う
防衛本能が働くのか、
なかなか読みはじめることが
できなかった。


今年の3月11日に

ようやく読むことを決意。

逃げちゃダメだ。

被災して、家族を亡くすシーンでは、
何度も本を閉じたくなった。
垣谷作品といえば、

前半どうにもならない

問題を抱えてしまっても

必ずスカッとする解決策が

待っている。

でも「避難所」では、

出口はないだろうと

思わずにいられないほどの

重い現実を描いていて

垣谷さんでもどうにも

できないだろうと

思いながら読み進めることに。


三人の女性たちは、
命からがら津波から逃れて避難所へ。
避難所での生活がこんなにも
精神的にも肉体的にも
辛いものかと思い知らされる。

大切な人や、ものを失ったショックで
人間らしく生きるための意欲がなくなり
理不尽にさらされても
意見できない。

特にこの作品は、
文庫化された、ときに
女たちの避難所」と改題されたように

テーマは、女性が味わった震災。

女性ならではの、生きにくさを

描いている。

学校に行っていた子供を

探し回ったり

赤ちゃんのいる母親が

水も食料もプライバシーもない中で
授乳するシーンでは
同じ母として
こんな現実があったことから
目を背けたくなった。

(フィクションにもかかわらず)


でも、私は本を閉じれば

向き合わなくてすむけど

現実には、今もどうにも

できない日々を

送っている方もいる。

だからと言ってできることは

何もないんだけど、
せめて目を背けずに

知っておかなくてはならない。


こうして読んでいくと

震災の被害のなかった愛媛で

震災後しばらくマイクの前で
何を話すべきかわからなかった

ことが思い出された。


避難所」では、
着古した服が届いたことで
主人公が惨めな気持ちになる。
あの時、想像力を豊かにして
被災された方が何を必要としてるか
共に考える場を作れば良かったのかな。
いや、経験しなければ
どんなに情報を集めても
気持ちを理解することは
できなかったな。

不謹慎だと言われることを恐れて

当たり障りない言葉を並べるだけだった
私って、結局誰のためにもならない
自分を守るだけの放送をしていたんだ。

避難所」を読んで

自分のずるさ、無力さ、無知さを

改めて思い知らされた。


この作品に気づかされたもうひとつの
ことは、被災された方を取り上げる
テレビ番組は、人間のドロドロを
描いていないと言うこと。
避難所」は、
垣谷さんが得意とされている
家族の中のゴタゴタに
目を向けているので
今までにない発見がある。

震災前に抱えていた家族の問題が
大変な状況の時こそ表面化されて
耐え難い思いをしていた人も
いたし、今もいるんだろう。

それにしても今回も
女の敵の描きかたがうますぎて
出てくる男性に腹が立ちすぎるっっ
それから垣谷さんの作品を読むと感じる
”いつでも自立できるように
しておかなくては!”と言う思いが
今回もむくむくと沸いてきた。

3人の女性たちは
避難所を出た後は、

仮設住宅に移っても

仮設住宅を出て

新しい生活をはじめても

まだ避難しているように感じられる。

いつが避難の終わりなのか。
自分の居場所がしっかり作れるまでは
どこにいても、そこは避難所のまま
なのかも。

そうした、方々が
仮住まいではない
本当の家だと思える場所で

生活できるように

なれますように。

去年の3月11日には、

藤谷治さんの

あの日、マーラーが」を読んだ。

他にも多くの作家さんが

震災をテーマにした

作品を書いている。

これからも目を背けずに、

色々な人が描いた震災を

読んでいきたい。

Haruna Terazono

”伝えること”を 仕事にしています。

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