団地で暮らそう!

実家近くの公園で、『今の子供にとって、この公園は中古だな』と感じた。


私が小学校・・・確か4年生の時に、通っていた小学校が20周年を迎えた。

開校したころは、プレハブ校舎を作っても間に合わないくらい子供であふれていたらしい。

私がいた時はすでに1学年は3クラスでマンモス小学校の記憶は遠い昔のように感じられた。

(今は1クラスらしい!)


実家のある町は、小学校ができる少し前から山を切り開いて、分譲地になった。

Wikiによると昭和40年に宅地開発が始まり、43年に販売が開始されたらしい。

公園だってそのころに作られたわけだから私が遊んでいたころに比べて劣化していて当然。


そんなこんなで、

長野まゆみさんの「団地で暮らそう」という作品タイトルに惹かれた。

帯には、”いま、めぐりあう不思議な昭和”とある。

私が育ったのは同じ形の一戸建ての家が並ぶエリアだったが、

団地にもきっと似たような暮らしがあったはずだと思い、ページをめくり始めた。


作品に登場する団地ができたのは、昭和30年代後半。

団地ができた当時の回想は、世代が少し前の記憶なので、共感よりも発見が多かった。

でも、室内照明を点ける紐に紐をつけたして寝るときに布団に入ったまま引っ張っていたり

カラスノエンドウでおままごとをしたり

お風呂に入るときに、湯沸かし器の操作が難しかったり

子供の頃の記憶がよみがえってくる話がたくさんあった。


基本的に、昭和の暮らしは今より、不便なんだけれど、

豊かさを感じるところもあって

『抹茶・番茶・煎茶の入れわけができる世代』という表現など・・・

何か大切なものを忘れてきているような気持ちにもなった。


確かに実家近くに暮らす祖父(93歳)の家に行くと、

昭和40年代に購入後、少しずつ直しながら使っている家での暮らしは、

つつましいものだけど

遊びに行くと、お茶は時間や用途によって違うものを入れてくれる。

今でも祖父の家のお茶やコーヒーには特別感がある。


私の実家をはじめ、周りも、半分くらいの家が、

購入後、平成になった頃から立て替えを行っていて、

分譲住宅として販売されたころのまま残っている家は少なくなった。

高台から見える海は、雨でも晴れでも曇りでも、変わらず大好きな場所だけど

ゲリラ豪雨が頻発するようになって、数年前にバス通りの崖が崩れたりもした。


劣化を食い止めることも、環境の変化を止めることも私たちにはできない。

上手く付き合っていくしかない。

何を捨て、何を直し、何を作るのか。今後どのように暮らしていくのか・・・


ヒントをたくさんもらった。

Haruna Terazono

”伝えること”を 仕事にしています。

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