坂の途中の家

固定概念が母を苦しめる

坂の途中の家」/角田光代

何でこの作品を2018年の最初の一冊に
選んだんだろう。。。ってほど
ずっしり重い作品だった。

坂の途中の家」は、イヤイヤ期
真っ只中の二歳児を育てる主人公が
補充裁判員に選ばれたことで、
結婚や子育て、家族や友人との
関係を見直していくお話。

参加することになったのは、
30代の主婦が8ヶ月の赤ちゃんを
風呂に落として死なせた事件の裁判。

主人公は、同じように孤独な子育てを

していた被告人に自分を重ね合わせてしまい

次第に追い詰められていく。

裁判員が色々な見方をするのと同じように
読む人の立場や考え方によって、
共感する登場人物が違うと思うけど
私の場合は、子育て中の母として
主人公に共感するところが多かった。

主人公の家庭では、
結婚しても自分のペースを変えない夫が、
母親がしてくれたように自分の世話をする
ことを妻に求め、
義理の母が、
自分の息子に快適な生活を
させてくれることを嫁を求め、
息子に育児や家事をやらせるのは
かわいそうだと考えている。

二人は自分たちの考えが

間違っていないことを

確かめ合うかのように妻を暗に非難し、

追い詰めていく。。。

男って少なからずマザコンで

妻よりも母の考えが正しいと

思っている夫って実は多い気がする。


更に、主人公は実の母とも折り合いが悪い。

生まれてからずっと地方暮らしの母は、

自分と同じように田舎で専業主婦になる

人生が幸せだと信じて疑わず、

都会に出ていった娘の

不幸をどこかで願ってしまう。
自分の人生を肯定するために。

こんな風に、主人公は子育てが大変な時期に
本気で思いやりを持って接してくれる人が
身近に居なかったため、
自己肯定力がどんどん下がっていき、
育児に不安を感じていってしまう。


出産後退院したときに感じた不安感や、

母乳育児に固執したくなる思いなど

心理描写が見事すぎて、

赤ちゃんを育てていた時の

様々な記憶が呼び起こされた。


ちょっとしたことでイライラ

ピリピリしてしまったり

自分の子供が他の子より
劣っていないか不安になったり
何をしても癇癪がおさまらず、
キレてしまったり
主人公ほどではなくとも
私も経験があるし、
今も悩みはつきない。


育児は、人類が誕生してから

ずっと命を繋ぐために

行われてきたことだから

やってみるまでは誰でもできると思いがち。

でも実際にやってみると

上手くできないことや、

思うようにならないことが多くて

自信を奪われていく。

さらに現代は、よい母であるか否か

周りの目も厳しく、

よい母像に当てはまらないことで

さらに自信を失ってしまう。


三歳児神話もその一つではないかな。

子供が三歳になるまで、母親が育児に

専念すべきだとする三歳児神話は、

今から20年も前になる1998年に

厚生労働白書の中で

”母親が育児に専念することは

歴史的に見て普遍的なものでもないし、

たいていの育児は父親(男性)に

よっても遂行可能であり、合理的な根拠は

認められない”と否定されたのに、

今でも残っている。


三歳児神話を信じて子育てをしていた

祖父母世代に育てられた、私たち子育て

世代が、自分の育った環境を否定できないのは

無理もない。

特に、女性のキャリアに関心のない男性は

三歳児神話を信仰しがちだと思う。


こうして、これまで説明できなかった

もやもやを作品の言葉の中に見つけて

考えを整理することができた。


そして、子育てもの小説を読んだときの

恒例で夫に対する怒りこみあげてきた。


『だったら読むなよ』と

夫には一掃されてしまったけど

思っていたことが

言葉にできてスッキリした。


育ってきた環境が違うんだから

仕方ないところもあるな。


写真は、娘のおやつに作った

マカロニあべかわ。


『給食に出たよね?』と夫に聞いたら、

そんなの知らないとのこと。


これも、育ってきた環境が

違うんだから仕方ない。


娘がおいしいと言っているからよかった。

お正月にあまったきなこが大活躍!

Haruna Terazono

”伝えること”を 仕事にしています。

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