坂の途中の家
固定概念が母を苦しめる
「坂の途中の家」/角田光代
していた被告人に自分を重ね合わせてしまい
間違っていないことを
確かめ合うかのように妻を暗に非難し、
妻よりも母の考えが正しいと
思っている夫って実は多い気がする。
更に、主人公は実の母とも折り合いが悪い。
自分と同じように田舎で専業主婦になる
人生が幸せだと信じて疑わず、
都会に出ていった娘の
出産後退院したときに感じた不安感や、
母乳育児に固執したくなる思いなど
心理描写が見事すぎて、
様々な記憶が呼び起こされた。
ちょっとしたことでイライラ
ピリピリしてしまったり
育児は、人類が誕生してから
ずっと命を繋ぐために
行われてきたことだから
やってみるまでは誰でもできると思いがち。
でも実際にやってみると
上手くできないことや、
思うようにならないことが多くて
自信を奪われていく。
さらに現代は、よい母であるか否か
周りの目も厳しく、
よい母像に当てはまらないことで
さらに自信を失ってしまう。
三歳児神話もその一つではないかな。
子供が三歳になるまで、母親が育児に
専念すべきだとする三歳児神話は、
今から20年も前になる1998年に
厚生労働白書の中で
”母親が育児に専念することは
歴史的に見て普遍的なものでもないし、
たいていの育児は父親(男性)に
よっても遂行可能であり、合理的な根拠は
認められない”と否定されたのに、
今でも残っている。
祖父母世代に育てられた、私たち子育て
世代が、自分の育った環境を否定できないのは
無理もない。
特に、女性のキャリアに関心のない男性は
三歳児神話を信仰しがちだと思う。
こうして、これまで説明できなかった
もやもやを作品の言葉の中に見つけて
考えを整理することができた。
そして、子育てもの小説を読んだときの
恒例で夫に対する怒りこみあげてきた。
『だったら読むなよ』と
夫には一掃されてしまったけど
思っていたことが
言葉にできてスッキリした。
育ってきた環境が違うんだから
仕方ないところもあるな。
写真は、娘のおやつに作った
マカロニあべかわ。
『給食に出たよね?』と夫に聞いたら、
そんなの知らないとのこと。
これも、育ってきた環境が
違うんだから仕方ない。
娘がおいしいと言っているからよかった。
お正月にあまったきなこが大活躍!
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