水やりはいつも深夜だけど

本当の気持ちを伝えるって難しい

水やりはいつも深夜だけど」/窪美澄

家内安全の文字を見て、

簡単じゃないことだから

みんな年の初めに願うんだよなと

しみじみ思った。


決して安全とは言えない家が出てくる

水やりはいつも深夜だけど」は、

6つの短編集。

主人公は、母、父、高校生と様々だけど
どの話にも、うちの娘と同じくらいの
幼児が登場していて
他人事とは思えないものばかり。

一つ目、「ちらめくポーチュラカ」の

主人公は、ブログで自分を過度に

素敵に見せようとしている幼稚園ママ。


思春期に女子グループに
いじめられたトラウマから
ママ友に嫌われること恐れて、

ブログ上で理想の自分を演じている。


育児をしていて、人の目が気になる感覚は

すごくよく分かる。


私の場合は、
ちゃんとしつけてないと言われたくないから
子供を怒ってしまうことがよくある。
これって子供じゃなくて自分のためなんだよな。
分かっているけど、ついしてしまう。

誰のための子育てなのか・・・

忘れないようにしなくちゃな。


二つ目、「サボテンの咆哮」は、
妻の育児ノイローゼを経て
妻の要求を受け入れてきたことに
もやもやしている夫が主人公。

家事や育児は妻がやるものだと
思っているから、

手を貸している自分は

妻の犠牲者だとどこかで感じている。

精一杯手伝ってきたのに
何がいけなかったのかと。。。
我が家も、結婚して子育てに突入するときに
具体的なイメージを持ててなくて、
子供が産まれてはじめて
夫との価値観の違いに気づいた。


働いてもいいと言っておきながら
育児は当然サポート程度と
考えている夫に対し、

何で分かってくれないのだと

責めるばかりに。


でも、この作品を読んで、

私も見通しが甘かったし

スタートした時に感覚がずれてたんだから

仕方なかったんだと思えた。

どちらが悪いのかを決めるのではなく
ずれている部分を
少しずつ調節していくしかないんだ。

三つ目の「ゲンノショウコ」の主人公は、
娘に障害があるのでは?と疑ってしまう母親。

中度の知的障害を持つ妹と共に
育った経験から、過度に心配してしまう。

子供の頃、妹と過ごした日々の
楽しい記憶もあるのに、
障害に恐れにを抱いてしまう理由が
明らかになっていく。

世間の目が妹への本当の気持ちを
見えなくさせてしまったのでは?と
涙が止まらなくなった。


四つ目の「砂のないテラリウム」は、

子供ができて、妻に関心を持って

もらえなくなったことに不満を感じて

他の女性に目が行ってしまう男性のお話。


この中に、主人公が共働きの生活を

棒倒しに例える場面が出てくる。

棒倒しとは、砂場で遊ぶゲームのことで、

砂で作った山のてっぺんに棒を立てて、

棒が倒れないように砂を奪いあうもの。


”砂の山は、自分が一人になれる時間だ。

それを二人が奪い合う。

生活を継続させるために必要な家事と、

子育てのための手間や時間を相手に

押し付け合いながら。”


この部分を読んで、言い得て妙だと思った。

お互いに損得勘定しかなくなる感覚、

すごくよく分かる。


そんな状況から逃れるために

外に目を向けたら上手くいくのか否か、

主人公が身をもって示してくれている。


子育てを共に楽しめる間柄が

夫婦の理想なのかな。


五つ目の「かそけきサンカヨウ」には

父の再婚に戸惑う女子高生が登場する。

六つ目の「ノーチェ・ブエナのポインセチア」は

そのスピンオフ。


思春期に、家庭内のゴタゴタを

どんな風に乗り越えていくかを描いている。


大人に近づいてきて、

親の事情が分かるようになってくるけど

受け入れられないこともある高校生たち。


家庭によって抱える問題は様々だけど、

親離れする直前に摩擦はつきものなのでは?

私もあったな。



どのお話も,子育てをしている間は、

読み返したいと思う日がありそう。


家内安全のためにも

本棚に入れておこう。

損得勘定は捨てよう

腹の探り合いではなく話し合い

水やりはいつも深夜だけど」を読んで

思っていることをきちんと家族に伝えて

相手の話も聞かなくてはと思った。


どうなるかな、2018年の我が家。


ひとまず、気合を入れて作ったおせちは

すっかり飽きられてしまい、リメイク!


煮しめ→カレー・炊き込みご飯

きなこ・黒豆→ホットケーキ

2018年は、家族で子育てを楽しむ年に!

Haruna Terazono

”伝えること”を 仕事にしています。

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